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原爆症認定集団訴訟

集団訴訟に立ち上がった被爆者たち

 第2次世界大戦末期の1945年8月6日と9日、広島市と長崎市にアメリカ軍による原子爆弾が投下されたことはみなさんもご存じだと思います。原爆は2つの町を一瞬にして壊滅させ、広島市民14万人を、長崎では7万人をその年のうちに殺しました。生き残った被爆者も、ガンに冒され、白血病や説明の付かない病気が次々と発症し、苦しみ続けました。この人たちの病気を「原爆症」と呼びます。
日本国政府は、この「原爆症」について、「ごく限られた人にしか起きない特殊な病気だ」として、被爆者25万人余のうち約2200人(0.88%)しか認定しませんでした。
 裁判の中で、国側は放射線の被害を、原爆が爆発したときの直爆放射線としか見ていないことが明らかになりました。残留放射線や放射性降下物(「黒い雨」)が大量に降ってきて、人体に内部被爆を起こさせたことを全く考えていなかったことが分かったのです。原爆被害を軽く、狭く、小さな被害として描こうとしていることが明らかになりました。日本政府が、アメリカの核の傘の下で安全保証を維持しようとするため、核兵器の残酷さを国民に知られることを極力おそれていることも分かりました。

裁判所を軸にした闘いと認定基準の改定

 原爆症認定制度とは、広島・長崎に投下された原爆の放射線に起因する病気にかかっている被爆者に対して、厚生労働大臣が原爆症と認定して、医療費の全額国庫負担と一定額の手当等を支給する制度です。この原爆症の認定を得るため、2003年4月から17カ所の地方裁判所で、原爆症認定集団訴訟が次々と提訴されていきました。
 集団訴訟の目的は、当時の審査方針の廃止と被爆実態に見合う新たな認定基準の作成、被爆者援護制作の抜本的な転換でした。
 裁判の支援運動は日本被団協と各地被団協を中心としつつ、さらにこの運動の周辺に核兵器の廃絶を願う平和運動家や各種団体、市民・国民が集まりました。また、各地で連携して国会議員要請行動や地方議会での意見書採択も行われ、厚労省に対する要請行動や協議の場も設けられました。
 そして、2006年5月の大阪地裁では9名の原告全員勝訴の判決を勝ち取り、その後も6カ所の裁判所で原告の勝訴判決が続きました。この一連の勝訴判決を契機として、2007年8月6日の「広島・原爆の日」を前にした8月5日に安倍元総理が、被爆者との懇談会の席で原爆症認定基準の見直しの検討を明言するに至り、その結果2008年の3月17日に「新しい審査の方針」が策定され、4月から実施されています。

全面解決への現状と課題

 新しい審査の方針確定後も仙台、大阪の両高裁判決(国は最高裁への上告を断念)、5カ所の地方裁判所での勝訴判決が続き、さらに先日あった東京高裁の判決も含めると国側は14連敗となっており、もはや国には争う余地は寸分もありません。
 しかし、まだ多くの解決しなくてはならない課題が残されています。確かに新しい基準の下で170名の原告が認定されてはいますが、未だに50名を超える勝訴原告が未認定のまま放置されています。また、認定者の大多数が悪性腫瘍に限られており、数多くのその他の病気を抱える被爆者が認定をされずに苦しんでいます。さらに問題なのは、認定の申請を行ったものの認定審査が行われずに放置されている被爆者が8000名を超えていることです。中には、申請後3年以上経っている人もいます。一日も早く審査を進めることが必要なのです。
 以上のとおり、この闘いは未だ続いております。この現状を多くの皆様にご理解いただき、一日も早い全面解決にお力をお貸しいただければと思います
文責:今西雄介

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